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のあ513 復活!

みなさま、ご心配おかけいたしました。本日より復活いたします。またよろしくです。

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そ~だよ、まままま、がんばっ!!(と、グーで元気付けてくれてるのあ。うれしいよ)







10年来闘病していた兄ですが、家庭でみきれなくなって4月に入院。それから2ヶ月でした。

二浪してた頃は気持ちも不安定になってて家庭内暴力。もろに被害をかぶったのが私と妹。大嫌いでした。ああ、思い出すのも嫌だあの頃は。
大学の頃はあの全共闘世代。ヘルメットかぶって成田にも新宿にもでばってたようです。

前夜式、お葬式と続く中で、私の知らない兄の話を聞く機会がずいぶんありました。
いわく「反骨精神」「なみなみならぬ読書家」「豊富な知識」「教師が天職」「勉強家」
誰の言うことも聞かず、上に逆らい、長い物には巻かれず、生涯を負け組側に身を置いて生きてきたのですね。

それでも家庭を大事にして、自分のやりかたで家族を愛してきました(それは奥さんとふたりの息子には強引かとも思えるようなやりかたで、勝手に旅行の日にちを決めてきて、奥さんは自分の勤め先の学校に平謝りだったりしたみたいです)

子どもは本当にかわいい、と言っていたのは私も聞きました。確かに教師が天職だったのでしょう。40半ばで難病を発病するまでの教師生活でしたが。

大人になってからは、普通の兄弟づきあいをしてきました。昔のことは忘れてやったつもりでした。私の子供達もかわいがってくれ、娘が自分の母校の教育学部に合格すると、とても喜んでくれました。
去年娘の結婚式にも出てくれ、その時はまだ自分の足で歩いていました。

電話をすると必ず、具合はどう、変わりはないかと聞かれました。とおりいっぺんの挨拶だと思ってみんな元気だよ~と答えていましたが、今にして思えば自分が病気であることをうすうす自覚して、私にも病気が出ているのではないかと聞いてきていたのですね。
優性遺伝1/2の発生率。出たのは兄ひとりです。今のところは。

祖母と母が亡くなった同じ病気に、自分とまだ小学生だった長男がかかりました。自分を介してかわいい息子に病気を与えてしまったのはさぞ無念だったろうと思います。
20歳の誕生日を前にして息子を失い、その5年後に自分があとを追うなんて あまりといえばあまりです。57歳でした。

兄をみなおしたこと。病気で苦しんでいても、「なんで俺が」と一言も言ったことが無いのだそうです。自分でなくても私でも妹でもよかったのです。それでも「俺でなくあいつだったらよかったのに」とは言わなかったそうです。私なら言うな、絶対。口癖は「しょうがない」まあ、確かにさわいでもどうにもならない。運命だと受け入れていたのですね。

臨終のベッドで洗礼を受けた兄は、キリスト教式でお葬式を行いました。意識も戻らないままでしたが、奥さんの思うとおりにしてもらうのがベストだと思いました。
12年もミッションスクールに通いながら無宗教の私にはわかりませんが、今頃天国で長男と再会できていればいいなと思います。

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好きでもない兄でしたが、失うと落ち着きません。
残された兄嫁と、甥のこれからの幸せを心から願います。
(…写真とって欲しいと言われましたが、そうそう撮っていられるものじゃないです。花の十字架だけ)

by pleiad-subaru | 2006-06-08 14:00 | いろいろ☆